
2021年現在、女子選手が甲子園に出場することはできない。日本高等学校野球連盟(高野連)は大会の参加者資格について、次のように規定している。
その学校に在学する男子生徒で、当該都道府県高等学校野球連盟に登録されている部員のうち、 校長が身体、学業及び人物について選手として適当と認めたもの。
令和3年度大会参加者資格規定 公益財団法人日本高等学校野球連盟
http://www.jhbf.or.jp/rule/enterable/enterable_2021.pdf
近年、この規定の是非についてしばしば議論になることがある。
20年前から議論される甲子園の女子選手問題

『男のスポーツ』というイメージも強い野球だが、日本の野球界において、女子選手の出場を制限しているのは、高校野球のみである。小学生や中学生のチームには、男子に混ざって活躍する女子選手の姿は珍しいものではない。大学野球においても女子選手の出場は認められていて、東京六大学野球では2001年春の東京大学対明治大学戦で両先発が女子選手という試合もあった。また、未だ女性の登録はないものの、NPBもその登録を男性に限定する規定はない。
東京六大学野球で女性投手が話題を集めた今から20年前の2001年、高知県の大崎教育長が高野連に対して女子選手の出場を求める要望書を出している。これに対して高野連は、文部科学省などのデータから、高校生の男女の体力差を指摘し、安全面に問題があるとして、女子野球選手の出場を認めなかった。男女の体力差を考えるならば、高校生と大学生で差はない。神宮球場のマウンドに立つ2人の女性投手を見て、希望を抱いた女子選手がいたであろう中で、憧れの甲子園は目指す権利さえ与えられないということに落胆した選手もまた、全国に多くいたであろう。
筆者も高校野球経験者ではあるが、甲子園を目指す権利はなかった。これは、性別による問題ではなく、高校“軟式”野球部に所属していたからである。筆者の場合は完全に自身の選択によるものである。硬式野球を選択することもできた中で、自ら軟式野球を選んでいる。それでも、高校3年になり、小中学生時代のチームメイトが甲子園を目指している姿や、同世代の選手たちが甲子園で活躍する姿には憧れを抱き、自身の選択に後悔することもあった。自身の力ではどうすることもできない女子選手と筆者とでは比べることさえおこがましいことかもしれないが、実力で出れないことと、目指すことさえできないことでは、その心情は全く異なるものだと感じたことは今でも忘れられない。
女子部員=裏方というステレオタイプ

一方で、高校球児たちをプレー以外の面で女子マネージャーが支えるという構図は古くからあり、毎年の甲子園でもメディアによって頻繁に取り上げられる。女子生徒が記録員としてベンチ入りすることが認められたのは、1993年の愛知県予選が初で、甲子園本戦は1996年の夏からである。100年を超える高校野球の歴史を考えると、25年前のこの決定は最近のことのようにも考えられるが、記録員=女子マネージャーというイメージは世間的にも強い。
あだち充の野球漫画『タッチ』(連載期間1981年-1986年)で野球部マネージャーのヒロイン浅倉南がスタンドから応援する姿が頻繁に描写されているのに対し、同作者の『H2』(連載期間1992年-1999年・甲子園大会の描写が多いのは連載後期)では、甲子園のベンチ入りマネージャーをめぐる話がある。漫画の話ではあるが、女子マネージャーが記録員としてベンチ入りするということは早々に一般にも受け入れられていることが分かる。
記録員以外での女子マネージャーの仕事は多い。食事が重要視される近年の高校野球では、「マネージャーが選手全員の食事を用意している。」というような報道はよく目にする。また、日常的な練習時には、ティーバッティングのトス上げ、ノック時の球渡しなどの補助を行っていることも多い。しかしこれについても、甲子園という場所になると待ったをかけられる。
2016年夏の甲子園。大分高校のマネージャーがユニフォーム姿で甲子園練習に参加するも制止された。これは、大分高校監督の解釈違いによって起こったことであり、高野連は危険防止のため女子部員の参加は認めないと説明した。この一件をきっかけに、「普段の練習では当たり前に行われていることを危険だからという理由で認めないのはおかしい。」という声があがり、女子部員の練習参加がジャージ姿・人工芝部分のみという条件付きで認められた。一つのきっかけからルール改正に繋がったことは良い事かもしれないが、踏み出した一歩はあまりにも小さいように感じる。高校野球はただでさえ一人の選手が参加できる大会は少ない。1年、あるいは1ヶ月の決定の遅れが選手には大きく影響する。100年以上の歴史があり、伝統や慣習なども多いことは分かるが、社会や現場の今の状況に則した大胆な変革を行っても良いのではないだろうか。
20年間で大きく変わった女子野球界の現状

女子の練習参加の一件から派生して、女子部員の大会出場についても議論されることが多くなった。六大学野球で女子選手が活躍し、高野連に対して女子選手の出場を求める要望書も出された2001年から20年たった今でも、高野連は女子選手の試合への出場を認めていない。高校野球の歴史から見ると20年は短いかもしれないが、女子野球界においては大きな変化が起きた20年である。
全国高等学校女子硬式野球選手権大会(高校女子の全国大会)が初めて行われたのは、1997年の事である。当時の出場校はわずか5校しかなく、行われた全ての試合が二桁得点を記録しているなどそのレベル差も大きかった。
その後、2002年には全日本女子野球連盟が誕生し、同年には関東女子硬式野球連盟によって、高校・大学・社会人が参加するヴィーナスリーグも開催された。女子硬式野球は、以後も少しずつ活動の幅を広めていき、2005年からは高校・大学・社会人の枠組みを超えて開催される全日本選手権、2006年からは社会人クラブの頂点を決める全日本クラブ選手権という2つの全国大会が開催されるようになった。そして、女子プロ野球の誕生や、日本代表の女子野球ワールドカップ6連覇などもあり、女子硬式野球部を持つ高校は40校にまで増え、600人程度と言われていた競技人口もおよそ2万人まで増えた。
そして2021年、高校女子全国大会の決勝が甲子園球場で行われることも決定している。
女子野球のスポーツとしての地位はこの20年間で見違えるほどに上がった。しかし、甲子園を目指すという点においては、事前の練習に遠い位置から補助が可能になったことしか変わっていない。
女子野球の発展を考えるならば、男子の大会に参加できるようにするよりも、女子の大会を普及していくべきだという意見もある。女子の大会は一般的な知名度は低く、野球をやっている女子中学生でも知らないことさえある。当然、大会知名度の向上や、参加チーム・選手の増加を目指した活動は行っていくべきではあるが、一朝一夕でできるものではない。
高校女子硬式野球部は全国で40校(内公立高校4校)まで増えたものの、男子野球部の4000校には遠く及ばず、存在をほとんど知られていない軟式野球部とさえ10倍の差が開いている。現状、女子選手は地域的な問題や経済的な問題によって高校野球(の試合出場)を諦めなければならないことも多い。
高野連の大会参加者資格を規定する『男子』の二文字が消えることで、女子選手の可能性は100倍に広がる。甲子園を目指したいという気持ちに性別は関係ない。能力的な差を考えると、実際に女子選手が甲子園で活躍することはほとんど不可能に近いかもしれない。しかし、一人でも多くの野球選手が甲子園を“目指せる”という環境があるだけでも選手たちの気持ちは大きく変わるのではないだろうか。