小石編集長の思うトコロVol.1あだち充から読み解く「女子部員の立場の変化」

 野球漫画、特に高校野球を題材とした漫画は数え切れないほどある。コミック売上1億部以上を誇る大ヒット野球漫画『タッチ』の作者あだち充氏も読切の短編から長期連載の作品まで、高校野球を題材に多くの漫画を書いている。代表的な作品にはタッチやH2、クロスゲーム、そして現在連載中のMIXがある。あだち氏は『青春ラブコメディ』を得意としており、前述の4作品にはヒロインがマネージャーや幼馴染という主人公に近い立場で登場する。どの作品も話の本筋は「甲子園を目指す」ということであるが、作品ごとにおよそ10年程度連載時期が異なり、ヒロインの主人公や野球部に対する関わり方や役割は変化している。本記事では、未完結作品のMIXを除く、タッチ・H2・クロスゲームから、『高校野球における女子部員の役割の変化』を紐解いていく。

タッチ(1981-1986)

 タッチは、あだち氏最大のヒット作であり、コミックス累計1億部以上の売り上げを誇る。1981年から1986年まで連載されていたこの作品は、双子の兄弟である上杉達也・和也と幼馴染で野球部マネージャーの浅倉南の3人が無名校・明青学園を舞台に甲子園を目指す姿が描かれている。物語は、愚兄賢弟という構図で始まる。ヒロインの南は幼い頃に甲子園に憧れ、「南を甲子園に連れて行って」という約束を和也とする。野球部では1年生ながらエース、勉強においてもトップクラスという努力家で天才の和也であったが、高校1年の地区予選決勝の朝に交通事故によって死亡する。それまで堕落した生活を送り、努力を怠ってきた兄の達也が甲子園の夢をバトン“タッチ”して受け継ぎ、南と共に甲子園を目指す事になる。

 作品連載当時、女子マネージャーは記録員として大会のベンチに入ることは許されていなかった。練習試合ではベンチでスコアを書いているのものの、公式戦はスタンドから見守ることしかできない。作中でも、スタンドから試合を見守る南の姿は度々描写されている。新体操部と兼部していた南の試合以外でのマネージャーとしての活動が描かれることは多くはなく、合宿中の食事の準備やマッサージ・テーピング等の治療行為といった裏方的な仕事がメインである。

 当時、「野球は男のスポーツである」という意識は今よりも強く、高校女子硬式野球の全国大会も開催される前だった。また、社会的にも女性は男性を陰ながら支えることが良いことであるとされていたことも作中の関係性に反映されている。連載開始から40年たった現在、ジェンダー平等という概念は広く認知されるようになり、社会的な男女の立場は大きく変化している。40年も前の作品を読めば、当時の感覚や、登場人物の言動等に「古さ」を感じ違和感を抱きそうなものである。しかしこの作品は、現在読んでも大きな違和感を感じることがない。これは、高校野球という世界において、女子マネージャーの役割や立場が40年間ほとんど変わることがなかったということではないだろうか。

H2(1992-1999)

 タッチ連載終了の6年後、高校野球と恋愛という同じ題材でH2の連載が始まっている。この作品は主人公の国見比呂とライバルの橘英雄の2人のヒーロー、幼馴染の雨宮ひかりと野球部マネージャーの古賀春華の2人のヒロインによる物語である。中学時代それぞれ投打の要として全国優勝を果たした比呂と英雄であったが、比呂の怪我をきっかけに別の高校に進学することになる。ひかりと共に名門の明和高校に進学した英雄とは対照的に、野球部のない千川高校に進学した比呂。甲子園を夢見る春華との出会いや、肘の故障が誤診だったことにより、野球部を一から作り、甲子園を目指すことになる。

 この作品における2人のヒロインの立場は、マネージャー(ひかりは甲子園大会期間中のみ)と前作タッチから変わっていない。しかし、その業務内容や立場には変化が見られる。まず、H2連載中の1996年の夏の甲子園から女子部員が記録員としてベンチ入りすることが認められており、ヒロインの春華やひかりもそれぞれ甲子園で記録員を務めている。彼女らはそれぞれ、試合中に監督と相手選手のデータやチームの作戦など、戦術的な会話をすることも多く、1部員としてチームと共に戦っているという印象は強まった。また、主人公の所属する千川高校の野球部は、マネージャーの春華によって作られたといっても良い。彼女の「甲子園を目指したい」という気持ちは強く、主人公を始めとする多くの有望選手たちが集まるきっかけになっている。練習でもトス上げなどの直接的な手伝いをすることが多く、タッチの「甲子園に連れて行く」から「共に甲子園を目指す」存在へと変化しているように感じられる。

 記録員とはいえ、甲子園のベンチに入れるということはこの作品内でも特別なことという扱いを受けている。前述の通り、ひかりは明和高校において専任のマネージャーではない。2年時には英雄の推薦もあり、甲子園のベンチで記録員を努めるが、3年時に再び監督から依頼を受けた際には、一学年下の専任マネージャーである小山内美歩にその立場を譲っている。話の本筋には関わらない何気ないワンシーンではあるが、例え記録員だとしても憧れの甲子園のベンチに入れるということが、当事者たちにとってはいかに重要なことかをあだち氏なりに表したメッセージ性の強いシーンであるように感じられた。

クロスゲーム(2005-2010)

 タッチ・H2と変化してきたヒロインの立場だが、クロスゲームのヒロインは選手として登場する。野球において女子選手の存在は珍しいものであるが、1997年には高校女子硬式野球の全国大会、この作品の連載が開始された2005年には女子硬式野球の全日本選手権第一回が開催されるなど、女子野球が広まり出した頃にこの作品は連載されていた。特待生制度・甲子園に対する学校の姿勢・監督の方針などの高校野球界の問題点を描いていることからも、あだち氏が当時の野球界の流れを汲んで、この作品を書いていると考えられる。

 この作品の主人公は樹多村光。近所の月島家とは家族ぐるみの付き合いで、同い年の次女・若葉とは特に親しかったが、その反面1歳年下で本作のヒロイン・青葉とは犬猿の仲だった。連載開始当初、光は野球に興味を持っていなかったが、青葉のピッチング姿に憧れてトレーニングを始める。その後、突然の事故で亡くなった若葉が生前に光が甲子園で投げている夢を見たと嬉しそうに語っていたことを知り、本気で甲子園を目指すことになった。進学した星秀学園高等部では、2軍からのスタートとなったものの、多数の野球留学生を要する1軍に勝利し、2軍を指導していた前監督の前野や小学生時代からの友人である赤石や中西と共に活動していく。翌年には青葉が野球部に入部。女子選手故に公式戦への出場はできないが、欠かさず練習に参加し、光のピッチングを指導したり、バッティングピッチャーを積極的に行うなど、1選手として共に甲子園を目指す姿が描かれている。

 本作は前述の2作品とは異なり、ヒロインがマネージャーではなく女子選手という立場で主人公と共に高校野球生活を過ごす。主人公が甲子園を目指すことは前2作と相違ないが、男子野球部に所属しながら公式戦に出場できない青葉の葛藤が描かれている。青葉は女子でありながら、投手としての能力は小学生の時から抜けていて、高校進学時には約130km/hの速球を投げている。また、光たちの対1軍戦ではセンターで出場し、野手としての実力も十分にあったことが描かれている。男子に劣らないその能力は自他共に認めており、作中では共に練習をしながらも試合に出ることができないことに対する思いが本人以外も含む様々な目線から描写されている。

 この作品の青葉の様に、甲子園に出場するレベルの高校で男子に劣らない能力を持つ女子選手は当面現れることはないかもしれない。しかし、全国的には男子野球部の中で活動する女子選手は多い。この作品を通して、全国で悔しい思いをしている女子選手や、その周囲の人たちの葛藤が少しでも理解されることをあだち氏が意図していたように感じる。

総括

阪神甲子園球場 https://www.hanshin.co.jp/koshien/

 本記事では、同一作者の作品で女子部員の立場や役割の変化がわかりやすく描かれているものに着目して言及しているが、これらの作品は高校野球界や社会的な流れを反映して描かれている。現在や今後の高校野球界の変化によって、あだち氏が現在連載中のMIXやさらに後の作品内にどのような形で反映していくのか期待したい。

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