部員数100名超の名門野球部。ただ一人の女子選手だった金城妃月の、波乱万丈の高校野球生活

皆さんこんにちはー!岡田桃香です!

以前私がインタビューを受ける側として、高校時代の経験を話させてもらったのですが
今回は取材する側にまわり、いろんな話を聞き出したいと思います!

今回登場していただくのは金城妃月さんです!

【金城紀月(きんじょうきづき)】2000年1月25日生まれ。沖縄県出身。祖父とプロ野球の試合を見ていたことがきっかけで幼い頃から野球に興味を持ち、小学校3年生の時に友達の誘いもあり、地元の少年野球チームにて本格的に野球を始める。中学校では一度野球から離れるも、県内の女子野球クラブチームでの活動を経た後、男子と共に高校野球をやっています。現在は関東の名門女子硬式野球クラブチーム『侍』にて活動しています。

女子硬式野球部が全国に増えている中、高校野球で男子硬式野球部に所属している女子部員も多く、毎年ニュースになっています。本来、高校生のスポーツは男女で別れていることが一般的ですが、女子野球部は全国におよそ40校と男子の100分の1程度しかなく、大会に出場することができないと分かった上で男子野球部を選択している女子選手も少なくはありません。男子と同じ環境で練習・練習試合を行い、共に甲子園を目指しているのに大会に出場することができない女子選手たちの思いや覚悟、男子野球部を選択した経緯などについてインタビューしていきます。

<インタビュアー:岡田桃香>

金城選手とは高校3年生の時に丹波連合で一緒にプレーしていました!!とっても明るくて全く人見知りをしないっていうのが第一印象でした。

「野球を始めたきっかけは?」「沖縄県の女子野球事情について」「女子野球普及活動」といった気になるテーマを聞いてみました!

金城選手、まさに「波乱万丈」です!!

波乱万丈な野球人生の始まり

岡田
今日はありがとう〜よろしくお願いします!
色々聞いていくね!
金城選手
よろしく!!じゃんじゃん聞いて!
岡田
じゃんじゃん聞く!(笑)
じゃあまず、野球に興味を持ち始めたのはいつ頃からだった?
金城選手
小さい頃からおじいちゃんと一緒にプロ野球の試合をを見ていて、ずっと興味があったんだよね。小学生になった頃からは近所の公園とかで周りの男の子達と遊びで野球をやったりしてて、それが始まりかな!
岡田
きづきっぽい(笑)少年野球を始めたのはいつから?
金城選手
小学校3年生の時かな。
一緒に野球をやっていた仲の良い男の子に誘われて地元の少年野球に入団した!
岡田
そうなんだ!中学校での部活は?
金城選手
バスケットボール部入ってたよ!
岡田
え、そーなの?野球かと思ってた!
金城選手
違うよ(笑)沖縄県に中学校で野球をやっている女子って少ないんだよね。
だから、ボーイズとかシニアとかに行くっていう選択肢もなくて。
岡田
そんなに少ないの?少年野球でやってた女子選手は、
中学上がったらみんな何部に入るの?
金城選手
私の周りではソフトボール部かテニス部に入ることが多かったかな!
周りがそうだから、中学校で女子が野球を続けることは難しかったんだよね、、
私自身も学校にソフトボール部があれば入っていたと思うけど、
私の学校にはそもそもなかったからバスケットボール部に入部した!
岡田
そうだったんだ〜。バスケってたくさん走るイメージあるから、めちゃくちゃ体力つきそうだね。
金城選手
基礎体力つけるっていうのもバスケを選んだ理由の一つだよ!ポジションはポイントガードだったから、フィジカルもだいぶ強くなった(笑)

野球への強い思いから、男子硬式野球部への入部を決意

岡田
すごいな(笑)それで、高校で男子硬式野球部に入部したきっかけってなんだったの?
金城選手
沖縄ティーダバルっていう女子のクラブチームに所属してたから野球はやってたんだけど、練習日は少ないし、練習場所も遠かったからなかなか参加できてなくて。それで、朝も放課後もたくさん練習ができるところって考えたら、地元の高校が一番だなって思ってそれで男子硬式野球部に入部すること決めたよ!
岡田
女子硬式野球部は選択肢にはなかった?
金城選手
そうだね〜。その当時は県内に女子硬式野球部もなかったからね。県外に女子硬式野球部があるのは知ってたけど、弟もいたから簡単に県外に出ることができなくて、県内の高校に進学するしかなかったんだ。
岡田
そっかそっか、県外ってなると寮に入らないといけないもんね。
高校野球では女子は公式戦に出場できないってことは入部するときは知っていた?
金城選手
女子が公式戦に出られないのは知ってたよ!
高校野球がきついのもわかっていたけど、中学で野球ができなかったから、
体力面とか技術面で基礎的なことから身につけようと思ってた!
もうとにかく練習がしたかったって感じかな。
岡田
不安とかはなかった?
金城選手
ん〜。部員数が3学年で100人を超える高校だったから、
馴染めるのかなっていう不安はあったかな。
岡田
100超えるの?!めちゃくちゃ多いな(笑)
でもその気持ちわかるな〜周りの反応とかはどうだった?
金城選手
少年野球の時から仲の良かった子からは『大丈夫?』とか心配の声が多かったね。
親からは反対されてたな〜。
岡田
反対されてたんだ、、。反対を押し切って入部することは大変じゃなかった?
金城選手
入部することを決めた時は『やるからにはやってやる』っていう気持ちしかなかったよ(笑)
岡田
さすがすぎる(笑)男子と同じメニューをこなすのはきつくなかった?
金城選手
きつい練習メニューも多かったけど『みんなに負けたくない』っていう思いで全部ついて言ってたよ!そしたら、他の野球部員たちが『自分たちでもきついメニューについてくるのは凄い』って言ってくれてたみたいで。それを聞いた時は認められてる感じがしてすごく嬉しかったし『頑張って良かった、また頑張ろう』って思うことができた!
岡田
聞いてて私も嬉しくなった!笑
でもさ、それでもやっぱきついのはきついよね(笑)
一番きつかった練習メニューはなんだった?
金城選手
きついね(笑)一番か〜
あえていうならタイヤを持って200mトラックを走るインターバル走かな。
岡田
聞いただけでもキツそう!(涙)
金城選手
めちゃくちゃキツかったよ(笑)
スピードとパワーの両方が求められるし、男子と同じ重さのタイヤでスピードにもついて行かないといけなかったから、本当にやばかった(笑)
岡田
ウエイトとかは自分にあった重さでできるけど、タイヤはそんなのないもんね。
金城選手
そうそう!どれも一緒(笑)
岡田
なんかさ、メニューとかでペアになってやる時って大変じゃなかった?
金城選手
うん大変だった。
うまく男子の中に入っていけないっていうのもあるけど、
練習相手が私に対して気を使ってないかどうしても心配になってたな〜。
岡田
あ〜凄くわかるな〜、、、
私に気を使って練習したことで調子を崩したりしたらとか考えちゃうよね、、、
岡田
練習メニュー以外ではどうだった? 私は遠征の時の着替えが大変だったな〜。
金城選手
着替えに関しては私も苦労した!
でも一番は体調が悪い時に周りに相談できなかったことかな。
休んだら仮病って思われるんじゃないかって考えちゃって。
岡田
なるほどね、確かにその辺の理解は高校生の男子にはまだ難しいところかもね。
周りに気軽に相談できる人がいないのは辛いよね、、、
金城選手
うん。それが原因で「やめたいな」と思ったこともあったんだ。
高校2年生の時なんだけど、男子と一緒に練習をしていたのが体力的にしんどくて、
精神的にも不安定になっちゃった時があって。その時は同じ境遇にいる人もいないし、
共感できる人が誰もいなくて本当に辛かったな〜。
岡田
うんうん。
話すことで楽になることもあるけど、
共感できる相手じゃないとこれって話していいのかな?
とか考えちゃって結果話せないことのが多いよね。
岡田
濃い3年間だったと思うから、たくさん思い出あると思うけどその中での一番の思い出ってなんだった?
金城選手
これは決まってる!最後の夏の大会の時に始球式をやらせてもらったこと!
岡田
あ、そういえば当時Twitterで流れてきて見た気がする!
金城選手
そうそう!色々取り上げてもらったかな。公式戦に出場することができなかったから、
観客が入ってのグランドからの景色とか見る機会ないんだろうなって思っていたけど、
始球式をやらせてもらって、その時に見たマウンドからの景色がほんとに忘れられなくてさ〜。
岡田
うらやましい!公式戦のグラウンドに立てることって絶対ないもんね。
金城選手
ほんまにそれ(笑)
しかも、チームメイトとか、スタンドとか、あと相手チームの人とかみんなが
「頑張れ!」って声かけてくれたりして、あの時の感動は一生忘れられないな〜。
岡田
すごい経験!!
金城選手
そうだよね。
3年間でいうときついことの方が断然多かったけど、
こんな経験は誰もができることじゃないと思うから、
3年間やってきたことが報われた気がして、頑張ってよかったなって思った。
金城選手
高校野球は女子の公式戦出場は認められていないけど、最後だけでもずっと一緒に
やってきたみんなと同じグランドに立てて本当によかった!!
岡田
いい話すぎる(涙)
公式戦出場は認められていないっていうのはわかってるけどさ、
それ以外でも認められていないと感じたことはあった?
金城選手
練習試合の時に感じたかな。
基本は出場してたけど、相手チームに許可がもらえなくて、
出られなかったことが何度かあったんだよね。
岡田
練習試合でも出れないことがあったんだ。
実際、女子だから危険ってことはそんなに感じないよね?
金城選手
打球はめっちゃ速いけど、それで怪我したことはないし、
危ないのは男子も一緒だから危険って思ったことはないかな。

女子野球への思いについて

金城さんは高校卒業後、大阪にある履正社医療スポーツ専門学校へ進学し、女子野球の世界へと足を踏み入れます。

彼女は女子野球に対してどのように思っており、今後どのように関わっていきたいのか聞いてみました。

岡田
高校卒業後の進路とかはいつから決めてたの?
金城選手
進路に関しては高校1年生の時からずっと、
『とにかく野球ができる環境を』って考えていたよ。
岡田
じゃあ女子野球に行くことはずっと考えてたんだ!
金城選手
考えてた!
私が履正社に進学を決めた一番の理由は、
『県外の女子野球のトップレベルの野球に関わりたい』っていうことだったんだ。
履正社RECTOVENUSには女子野球のトップレベルの選手も集まってくるから、
プレーヤーとして自分がどこまでいけるかっていうのも試したかったんだよね。
金城選手
もちろん沖縄で野球やるのも楽しかったけど、
それよりももっと違う世界でやりたいっていうのが大きかったかな!
岡田
なるほどね。
そういえば沖縄県に女子硬式野球部できたよね!
金城選手
できた!南部商業高校ってところに!
めちゃくちゃ嬉しかったよ。
岡田
沖縄県初?
金城選手
初!
私が高校生の時は、高校で野球をやっている女子選手は県内じゃ全然いなかったから、できるなんて考えられなかったな〜。
岡田
そう考えるとめちゃくちゃ増えたね。
金城選手
このことがニュースになった時、私のことも紹介してもらったんだよね。
その時に創設者の方が
『男子の中で頑張っていた子達がいたから女子野球部を作ろうと思った』
と言っていたのを聞いてさ、『見てくれてた人もいたんだな〜』って思ったし、
3年間頑張ってやり切って良かったなって心から思ったよ。
岡田
うんうん。無駄じゃなかったって思うし、やってきたこと誇りに思えるよね。
すごくいい話たくさん聞けた!
無茶振りだけど、最後に一言お願いします!(笑)
金城選手
無茶振りすぎな(笑)
私も女子野球をやっているので、女子野球がどんどん発展していくように貢献していきたいです!!
まずは、野球ができることに感謝して今は思いっきり楽しみたいと思います!!
岡田
今日はいろいろ聞かせてくれてありがとう!
またいろいろ話そうね!

インタビュアーの私自身も金城さんと同じく高校男子硬式野球部経験者です。話を聞いていく中で、共通点も多く共感できることがたくさんありました!金城さんとは丹波連合で一緒にプレーした仲ですが、初めて知ることもたくさんありました。中学校でバスケ部だったこととか全然知りませんでした笑。こんな感じで女子野球選手たちにいろんな話を聴いていけたらなと思ってます!!

女子選手が男子の中で高校野球を続けるには相当な覚悟が必要で、様々な苦労もあったと思います。その中でひたむきに取り組んでいた金城さんや他の女子選手たちの姿があったからこそ、今まで1校もなかった沖縄県に女子野球部を作ろうという動きになったんだと思います。こういった一人一人の女子選手の頑張りによって新たな可能性が拡がっていくことは、女子野球界にとってもすごく大きなことだと思います!

全国の高校で女子野球部は増えてきていますが、各都道府県に一校すらないのが現状です。男子硬式野球部で活動する女子選手や、野球自体を諦めてしまう女子選手は全国にたくさんいます。

金城選手の頑張りが沖縄県で女子野球部が創設されるきっかけとなったように、選手1人の頑張りでも必ず誰かが見ていて、何かしらの形で報われる時が来るんだなって思いました!

女子野球の普及・発展に向けて、私が直接的にできることは限られてしまいますが、megaphoneによって女子選手たちの頑張りをたくさんの方に伝えることが私の役割の一つだと思っています。

「波乱万丈」という言葉がしっくりくるほどたくさんの経験をされてきた金城選手!

金城さんの話を聞かせてもらったことで私も負けないように頑張ろうと思えました!

彼女のこれからの野球人生もずっと応援しています!

それではこの辺で!バイバーイ!

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